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広島地方裁判所福山支部 昭和55年(ワ)416号 判決

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1. 原告が被告有限会社弘成興産(以下、被告会社という)の九六〇口の持分を有する社員の地位を有することを確認する。

2. 訴訟費用は被告会社の負担とする。

二、被告

1. 原告の請求を棄却する。

2. 訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 原告は、昭和三五年一二月二三日の被告会社(なお、当時の商号は有限会社葉間田鉄工所であり、昭和四七年八月三日現商号に変更した。)設立の際、九六〇口の出資をして、持分九六〇口の社員の地位を取得した。

2. しかるに、被告会社は原告が社員でないとして、争うので前記社員の地位の確認を求める。

二、請求原因に対する答弁と抗弁

1. 1の事実および2の事実中、被告会社が原告を社員でないと主張していることは認める。

2. 被告会社は、昭和四三年五月二二日、原告から、その持分全部を譲受けたので、原告は社員の地位を失った。

三、抗弁に対する答弁と再抗弁

1. 抗弁事実は否認する。

2. 仮に、原告が被告会社に、その主張のとおり持分全部を譲渡する旨の契約をしたとしても、契約の重要な要素である右持分譲渡額となった、被告会社の訴外葉間田産業株式会社(以下、訴外産業という)に対する売掛金額は、右契約上の四三四万七二〇三円から、当時、既に訴外産業が、被告会社との合併を前提として、被告会社に譲渡(支払)していた少なくとも合計二九二万五三二四円(内訳、五月一五日の一四二万五三二四円と同月二〇日の一五〇万円の合計額)を差引いた残額一四二万一八七九円より少額であったから、真実の金額と異なっており、この点で要素の錯誤があり無効である。

3. 前記持分譲渡契約は、被告会社が自己の持分を取得したものであるから有限会社法二四条、商法二一〇条に違反し、無効である。

4. 右譲渡契約は、取締役と会社間の取引に該るところ、社員総会の認許を受けていないから有限会社法二九条、三〇条に違反し無効である。

四、再抗弁に対する答弁と再々抗弁

1. 再抗弁事実は、いずれも争う。

なお、被告会社が原告の持分を取得した経緯は、以下のとおりである。

すなわち、被告会社の代表者であった亡葉間田秀雄(以下、亡秀雄という)と原告は兄弟であり、兄の亡秀雄が被告会社を、弟の原告が被告会社製品の販売を営む訴外産業を経営していたが、兄弟間に争いが絶えず、遂には原告の被告会社に対する営業妨害という醜い争いにまで発展したため、兄弟間の争いを止めさせる対策として、同業者、親せき、顧問税理士らが仲介した結果、両者間に協定が成立し、原告の持分については、次のような取決めが成立した。

すなわち、被告会社代表者の亡秀雄が、原告から、その妻名義のものを含めて持分全部を買取ることにするが、亡秀雄には直ちに代金を支払うだけの資金がないので、被告会社において、ひとまず買取り、その代金は原告が代表者の訴外産業に対する被告会社の売掛金と相殺する方法で決済し、しかる後、亡秀雄が被告会社から右持分を買取り、その代金を分割弁済の方法で返済し、亡秀雄において最終的に右持分を取得する。

2. 自己持分取得禁止の法意は会社資本の充実による会社債権者の保護、社員の保護、さらに投機の防止にあるところ、被告会社は上場会社ではないから投機防止の点は問題とならないし、会社資本充実の点も被告会社の代表者であった亡秀雄が持分全部を取得し、その対価全部を払込んでいるし、社員保護の点も被告会社の社員全部が無効を主張する積りがない状態にあり、原告自身も利得しているのであるから、少なくとも現時点において無効を主張することはできない。

のみならず、自己持分取得禁止違反を理由とする無効の主張は、会社側にのみ認められるものであって、譲渡人の原告から無効の主張をすることはできないものである。

3. 被告会社の社員は、当時、事実上原告と亡秀雄の二名しか存在しなかったところ、右の両者が話合のうえ、原告の持分を被告会社が譲受ける旨を合意しているから、社員総会の認許を受けたものと扱って何ら差し支えがなく、原告の無効の主張は理由がない。

4. 仮に右の各主張に理由がないとしても、前記のとおり、債権者、社員、一般投資家の保護に欠けるところのない本件の場合、自ら利得している原告が一〇年以上も前に決着した紛争を蒸し返えし、被告会社を混乱させ、再び金銭を要求する手段として無効を主張することは権利の濫用というべきである。

五、再々抗弁に対する答弁

権利濫用の主張は争う。

第三、証拠〈略〉

理由

一、原告が被告会社(なお、当時の商号は有限会社葉間田鉄工所で、昭和四七年八月三日現商号に変更した。)設立時に、九六〇口を出資して持分九六〇口の社員となったこと、被告会社が原告を社員でないとして争っていることは当事者間に争いがないところ、被告会社は昭和四三年五月二二日、原告から右持分全部の譲渡を受けた旨主張するので、以下検討する。

成立に争いのない甲第一ないし第三号証、乙第一号証、証人高橋寛登の証言(第一回)によって成立の認められる乙第三ないし第五号証、証人高橋寛登の証言、被告代表者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められる。

1. 原告は、被告会社代表者であった亡秀雄の実弟であり、亡秀雄と共に行っていた個人企業の鉄工所を、昭和三五年に法人化して被告会社を設立し(同年一二月二三日設立登記経由当時の商号は有限会社葉間田鉄工所)、亡秀雄が代表取締役に就任した。

その後、被告会社は製造部門と販売部門を分離することにし、昭和三七年八月二〇日に販売会社の訴外産業(株式会社葉間田産業)を設立し、原告が代表取締役に就任した。

2. 訴外産業は、主として、被告会社の製品を販売していたが、被告会社と訴外産業との間で製品の販売をめぐって競合状態が生じたり、また訴外産業が仕入先の被告会社に対して、仕入値の値上げを認めなかったり、仕入代金の決済を遅らせたりするなどのことがあったことから、昭和四三年五月初頃、被告会社の大口仕入先の株式会社五光鋳工所代表者の稗田哲雄が仲介して、被告会社と訴外産業を一本化し、そのために訴外産業が同月一〇日を期して事業(営業)活動を中止し、被告会社が資産負債等を含めてこれを引き継ぎ、被告会社の代表取締役には亡秀雄の外に原告も就任し、また仲介役の稗田にも当分の間、取締役の就任を依頼することなどを取決め、その旨の協定書(甲第二号証)が昭和四三年五月二日付で作成された。そして、その頃から原告が被告会社の代表取締役として、亡秀雄に代わって経営に当って行くことになったが、これに対して、取引先や取引金融機関等に不満があったことから、この新体制も二、三日で再び亡秀雄が出社して被告会社の経営の衝に当ることになった結果、前記協定内容は訴外産栄が一旦営業活動を中止した以外は、実質的には、実施に移されないままに終わった。

3. そこで、原告は訴外産業を被告会社から完全に分離独立させて、製造業を営むことにし、また自らも被告会社から退社することにして、亡秀雄との話合の結果被告会社の社員持分を亡秀雄に対して譲渡することになり、亡秀雄から、その代金額として、原告の出資額面のとおり、九六万円を支払うこと等を内容とする同月二二日付の協定案(乙第三号証)が提示されたが、これに対して、原告は、被告会社に含み資産があるとして、異議を述べ一〇〇〇万円を要求した。

この要求に対して、亡秀雄側では譲歩し、五〇〇万円位を支払う案として、乙第二号証の協定案を提示したが、それによると、原告持分の払戻としては、その持分(同人の妻邦江名義のものを含めて)全部を被告会社が買取り、その代金債務は、原告が代表者の訴外産業に対する被告会社の売掛金債権四三四万七二〇三円と相殺する方法によって決済する外にさらに亡秀雄が有する訴外産業の株式を原告の長男義祐に、また被告会社が有する訴外産業の株式および六尺旋盤と四尺旋盤各一台を、亡秀雄が被告会社から買取って原告の二男章に、それぞれ贈与し、なお、亡秀雄は、被告会社が取得した原告持分を、被告会社の前記買取価額四三四万七二〇三円で買受けること等を内容とする記載がある。

4. その頃、原告の子の義祐や章に対する資産の各贈与を実行するために亡秀雄は被告会社から旋盤を二四万七二〇五円で、株式を四七万〇五〇〇円で買取って、協定通りこれらを各贈与し、また被告会社においては、訴外産業に対する前記売掛金の回収を終わった旨の経理の処理をし、そして右資産売却代金と、回収済みの処理をした前記売掛金を一括して亡秀雄に対する仮払金(実質的には貸金)として計上し、亡秀雄は、右仮払金について利子を付して分割返済を続け、昭和四九年七月三日に返済を終えた。

右のとおり認めることができる。

二、ところで、原告は乙第二号証の協定書の成立を否定して持分譲渡契約が不成立であるとか、原告持分の譲渡価額の基礎となった被告会社の訴外産業に対する売掛金額は、乙第二号証記載の四三四万七二〇三円と異なり、実際には一四二万一八七九円よりも少額であったから、この点で持分譲渡契約の要素に錯誤があるので右契約は無効であると主張し、証人高野茂の証言(第一、二回)、同証人の第二回証言によって成立の認められる甲第二九号証(手帳)、ならびに原告本人尋問の結果には、右主張に副う事情として、以下のような事実関係、すなわち被告会社は当時、前年の昭和四二年七月期の所得に申告洩れがあったために追加納税をすべき状態にあったうえ、その頃、製造を手掛けた菓子製造用ミキサーの販売不振も加わって、資金繰りに苦慮しており、これを打開する目的で経営が順調であった訴外産業の資金を取り込む狙いをもって、訴外産業との合併を持ちかけ、一旦その趣旨の協定書(甲第二号証)を作成し、これによって訴外産業の資産を引き継ぎ、当面の苦境を乗り切った後、今度は訴外産業の独立分離を図って、その旨の協定書(乙第二号証)を作成しようとしたものであって、そのため、亡秀雄や稗田哲雄らにおいて、原告に承諾を強要して内容不知のまま右協定書に押印させたものであるとか、また前記のとおり持分譲渡代金額の基礎となった売掛金の額が真実と異なるものになっている旨の事実が挙げられているところ、証人高橋寛登の証言(第一回)によると、被告会社が昭和四三年五月当時、先に摘発された脱税のために、税金の追加納付を迫まられていたことや、前年から製造を始めたミキサーの販売不振などのため資金繰りが逼迫していたことは、原告主張のとおりこれを認めることができるが、その余の主張の点は、以下のとおりこれを肯認することができない。

すなわち、前掲高橋証言(第一回)と、これによって成立の認められる乙第六号証によれば、被告会社は昭和四一年八月一日から同四三年七月三一日までの二期、いずれも利益を出しているほか、成立に争いのない甲第二〇号証の一、乙第一一号証ならびに証人高橋寛登の証言(第二回)によると、被告会社は所有不動産や機械類を担保に提供して、取引先から支払手形の決済期間の延長を取付けたり、また所有不動産を処分して資金を捻出するなどしていたことが認められるのであるから、当時被告会社はなお、自力で資金繰りをすることが可能な程度の信用や資産を有する状態にあったと認められること、また証人高野茂の証言(第一回)と弁論の全趣旨を総合して成立の認められる甲第九号証によると、訴外産業の買掛帳には、同社の被告会社に対する買掛金が前記乙第二号証の協定書記載の金額と同一の四三四万七二〇三円と記帳されているほかにも、前掲高橋証言(第二回)によって成立の認められる乙第一二号証の一ないし四(訴外産業の昭和四二年八月一日から同四三年七月三一日期の決算報告書)および同証言を総合すると、訴外産業の決算上も、被告会社に対する買掛金四三四万七二〇三円が消滅し、その代わりに、右金額を含めたものが、未払金「社長、邦江」鉄工所分として、四三四万九二六〇円計上されていること、(もっとも、この点については、前掲高野茂の証言(第一回)および原告本人尋問の結果によると、前記合併を前提とした甲第二号証の協定書によって訴外産業が事業活動を中止する日時とされた昭和四三年五月一〇日から前記乙第二号証の協定書作成の同月二二日までの間に、前掲甲第九号証記載の額面合計一五八万五六〇〇円の手形の外にも、これより先に額面合計一四二万五三二四円の受取手形が被告会社に譲渡済みであり、さらに額面合計一五〇万円位の手形も渡っているというのであって、同証言によって成立の認められる甲第一三号証(メモ書)や前掲甲第二九号証(手帳)には、その趣旨の記載がみられるのであるが、同証言によると、前掲甲第九号証中の五月二〇日の一五八万五六〇〇円の手形の譲渡(支払)の記載は同証人がこれを記入したことが認められるところ、それにもかかわらず、同号証には、これより先に譲渡されたという額面合計一四二万五三二四円の受取手形の譲渡や、さらに額面合計一五〇万円位の手形の譲渡の記載がないところ、同証言によっても、右未記帳につき、これを首肯し得る事情が認められないことに徴すると、前掲高野証言、原告本人尋問の結果および甲第一三号証は、たやすく措信することができない。なお、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第一〇号証によっても、前掲甲第九号証に記載のない手形譲渡事実を認定するに由ない。また、前掲甲第二九号証の手帳は、その提出の経緯や、記載事項が原告の前記主張内容と不自然な程に一致していること、備忘録としての手帳への記載の仕方としては、不自然と解される報告調の記載がみられること、その他被告会社の顧問税理士として同社の会計処理に当って来ている証人高橋寛登の「被告会社の総勘定元帳には、当時、訴外産業から被告会社への資産の移転としては、五月一五日頃に買掛金の支払としての前記額面合計一五八万五六〇〇円の手形譲渡のみが記載されているに過ぎない」旨の証言(第二回)に照らすと、前記手帳の記載内容は措信することができない。)、前認定のとおり、前記乙第二号証の協定書の協定事項は、いずれもその当時履行されているうえ、証人高野茂の証言(第一回)および被告代表者本人尋問の結果によると、亡秀雄の死亡後に、本訴が提起されるまでの間、約一〇年余にわたって、原告からは格別の不服申立もなかった事実が認められること(なお、この点については、前掲高野証言(第一回)と原告本人尋問の結果によると、実母から裁判沙汰を避けるように云われていたため、その死亡後まで遅れたというのであるが、本訴は実母が死亡した後、さらに一方の当事者の亡秀雄も死亡後に提起されていることに照らすと、主張の遅延理由は不自然の感を免れず、たやすく首肯できない。)、さらに、原告は、乙第二号証の協定書成立後一か月位を経過した同年六月頃以降、福山市内に工場を賃借してベビーウインチの製造を開始しているのであって、これらの諸事情に徴すると、前記乙第二号証の協定書が、原告において内容不知のまま押印させられたものであるとか、持分譲渡契約に要素の錯誤があるなどという原告の前記主張は首肯できず、したがってこれに副う前掲各証拠は、たやすく措信することができない。

三、以上によれば、前掲乙第二号証の協定書は真正に成立したものと認定するのが相当であって、右のとおり真正に成立したものと認められる乙第二号証によれば、原告は被告会社に対して昭和四三年五月二二日に、その有する持分全部を譲渡したものと認められる。そして前記認定判断したところによれば、右譲渡契約に主張の錯誤があると認めることもできないといわねばならない。

他に、原告の前記主張を肯認させて右認定を覆えすに足る証拠はない。

四、そこで進んで前認定の持分譲渡契約が自己持分取得禁止規定に違反し無効であるとの点について考えてみるに、右禁止規定は会社が自己の持分を取得することが社員に出資を払戻したのと実質的に同様の結果を生じ、会社の財産的基礎を危うくすることになるので、これを防止することをその主な立法趣旨とするものと解されるので、右禁止規定違反を理由とする無効の主張は、譲渡人の原告からは許されないものと解するのが相当である。

五、また、取締役と会社間の取引に該るところ、社員総会の認許を受けていないので無効であるとの点についても、本件の持分譲渡契約の当時、原告が被告会社の取締役であったことは、成立に争いのない甲第一号証に弁論の全趣旨を総合して明らかであるので、本件有償持分譲渡契約は取締役と会社間の取引に該当することになり、そして弁論の全趣旨に徴して社員総会の認許を受けていないことが明らかであるところ、社員総会の認許を要求する規定は、会社の利益を守るところに、その本来の趣旨があると解されるので、右趣旨からすると、被告会社の相手方の譲渡人である原告において、右規定違反を理由として、自ら無効を主張することは許されないというべきである。

六、以上の次第で、原告は被告会社の社員の地位を有しないから、これを有することを理由とする本訴請求は失当として排斥を免れない。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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